子どもの本だより 著者インタビュー

子どもの本だより 著者インタビュー

2017年07月07日

7・8月号 村岡美枝さんのまき

 今回は、絵本『ヒルダさんと3びきのこざる』(五月刊)の翻訳者、村岡美枝さんにお話を(うかが)いました。

Q どんな子ども時代でしたか?

A ひっこみ思案な性格でしたが、大阪の自然が豊かなところで育ちましたから、レンゲで花かんむりを作ったり、(あぜ)でどろんこになったりして遊んでいました。

 五歳の時、父の仕事の関係でアメリカへ引っ越し、二年半を過ごしました。私はすぐに現地の幼稚園に入れられました。言葉はわからないけれど、笑ったりけんかしたりしている様子を見たり、一緒に手をつないでおゆうぎをしていると、日本人もアメリカ人も感じることは同じなんだなあ、と感動した記憶があります。アメリカ人とひと口に言っても、肌の色もひとつではなく、いろいろなルーツを持っている人がいるということも知りました。当時のアメリカは、ベトナム戦争やヒッピー文化の匂いもして、この時に見たことや感じたことが、私の根っこの一部になっていると思います。

Q 翻訳に興味を持ったのは?

A 高校時代、現代のアメリカの小説や映画のノベライズなどをどんどん読んで和訳をする、という授業があったんです。いかに自然な日本語に訳すか、というのを考えるのがとても楽しかったですね。その頃、通っていた塾でも、英語の新聞記事や小説の英文を訳すということをやっていて、いい表現ができるとほめられるんです。辞書の引き方から言葉の言いまわし、言葉の奥行きというものも教わりました。それで、翻訳っておもしろい! と興味を持ち、将来は翻訳家になりたいと思うようになりました。

Q 大学では何を学ばれましたか? また、どうやって翻訳の道へ?

A 文学部英文学科へ進みましたが、シェイクスピアを英語で演じるサークルがあり、四年間シェイクスピアと演劇にどっぷりつかりました。世の中では、(から)(じゅう)(ろう)などのアングラ劇団や自由劇場が活躍していた時代でしたから、毎日のように芝居を()ていました。

 大学時代に演劇にのめりこみすぎたので、もっと英文学の勉強したいと思い、大学院へ進みました。二十世紀初頭のアメリカの作家の作品が好きで研究したのですが、小説も戯曲も、研究者として作品を解読していくより、読者や聴衆と作品をつなぐ立場のほうに魅力を感じ、やはり翻訳や出版関係の仕事を希望していました。

 そんな折、知人から声がかかり、JBBY(日本国際児童図書評議会)の活動に関わることになりました。一九八六年に日本で大規模な国際大会が開かれるというので、その準備スタッフになったのです。講演会や会報、イベントの手配など、仕事はたくさんありました。その際に、出版社、版権のエージェント、作家、画家、翻訳者、図書館員など、子どもの本に関わるさまざまな職種の方たちに出会いました。それが縁で、海外の児童書の下訳などをするようになり、児童書を翻訳する機会に恵まれました。

 その後は二人の子どもの子育てで忙しかったのですが、一九九〇年くらいから祖母・村岡花子の(のこ)したものを整理することになりました。

Q 『赤毛のアン』などの翻訳者であり、児童文学者だったお祖母様ですね。どんな思い出がありますか?

A 東京に住んでいた祖母には、長い休みに会いに行く、という感じでした。私はなにより、祖母にお話をしてもらうのが好きで、祖母を追いかけては、「おばあちゃん、おはなしして」とせがんでいました。()(がた)りがとても上手で、日本の昔話、グリム童話、即興で作ったお話など、声色(こわ いろ)を分けて話してくれました。当時、祖母はたくさんの仕事をかかえてとても忙しかったはずですが、書斎の扉は開けっぱなしで、私が入って行くと、いつも笑顔でお話をしてくれました。

 また、祖母から、私に読ませたいと思った本が段ボール箱でどっさり届くこともありました。アメリカにいたころは遊びにきてくれて、一緒にディズニーランドにも行ったんですよ。祖母は、初めて見たアメリカをなんと思ったでしょう。祖母には、ほかにも聞きたいことがたくさんあったのに、私が小学校三年生のとき亡くなってしまいました。

 その後長らく、祖母の書斎は生前のまま残っていました。ですが、祖母のことを知りたいと言ってこられる方もいらしたので、母の発案で一九九一年に祖母の書斎を「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」として公開することにしました(現在は、東洋英和女学院内に資料が移され、一般公開されています)。母亡き後は、妹と二人で、二十三年間運営しましたが、『赤毛のアン』のファンだけでなく、祖母の開いていた文庫に来ていた人、祖母が出演したラジオを聴いていた人などがたくさんお見えになり、熱心なお話を伺ううちに、祖母が()いた種が、その人の心の一部を作っているということをしみじみと感じました。祖母がしてきた仕事の意味が見えてきた、とでもいいましょうか。若いころには、村岡花子の孫、ということを意識的に遠ざけておきたいような時期もありましたけれど、祖母の姿勢を見習いたいなあ、と素直に思うようになりました。

Q 絵本『ヒルダさんと3びきのこざる』を訳されて、いかがでしたか?

A 楽しい内容だったので、訳すことができ、うれしかったです。いたずらなこざるに飼い主が苦労する話ですが、やんちゃなお子さんの子育てをしているお母さんたちの気持ちとも、重なるのではないでしょうか。最後のページに、こざるたちの寝顔が出てきます。どんなに大変でも、かわいい寝顔を見たら、飼い主も親も、苦労を忘れてしまいますよね。この絵本を読んでもらった子どもたちは、ヒルダさんの困った顔を見て、どんな気持ちになるのでしょうね。 

Q 今後の抱負をお聞かせください。

A 子どもたちが「本を読むことは楽しい!」と感じ、ずっと心に残るような作品を探して、紹介していきたいと思っています。

  ありがとうございました!

 

村岡美枝(むらおかみえ) 東京生まれ。日本女子大学大学院英文学専攻博士課程前期修了。訳書に『あらしのくれたおくりもの』『オーリーのぼうけん』(共に福武書店)、『ウェールズのクリスマスの想い出』(瑞雲舎)、『王子とこじき』(学研プラス)、『アンの想い出の日々』(新潮社)ほか。